父方・母方通じて従兄弟初めての結婚に、大変しみじみしました。欝だった私が立ち直る兆しが見えたのはこの時からでしょうか。幸せをわけてもらったような気が致します。披露宴が始まってからいきなり渋る父のかわりに小椋圭を歌わされました。
これはティエィ人生の七不思議の一つになるかもしれません。40年程1期生がやってきた会長職を何故いきなり三十数代下った私がやる事になったのか…今は3月に同窓会入会式の挨拶をしなくてはならない事に戦々恐々。今更ながら、こういう挨拶ってヴェテランが経験にものをいわせた(!)内容の挨拶をするから有り難いのではないでしょうか。
老けて見えるから会長になったとは思いたくないところです…蛇足。
宗谷岬、ノシャップ岬、黄金岬、野付崎、納沙布岬、襟裳岬、チキウ岬を制覇。もう道産子のなかの道産子と呼んでくれ(笑)ってな感じです。
大変喜ばしいことです。およめさんを泣かせたらいけませんぞ!
話を聞いたとき真っ先に頭に浮かんだ言葉が『降嫁』(笑)。師匠思いの弟子であることがわかっていただけますね。嗚呼、麗しき師弟愛。
膀胱ガンと糖尿病・網膜剥離・狭心症を患う母方の祖父。今は退院して昨日も元気に一緒に除雪をしたが、本人も周囲も皆『もう何回も冬を越せない』と思っています。私は小さい頃から本当お世話になってます。おしめもかえてもらいましたし、なにより小・中学校の時転校を繰り返し精神的にヤバかった私の心のオアシスが祖父母の家でした。夏冬休みに必ず遊びにきていました。
若い頃散々苦労して、今健やかではないけれども穏やかで楽しい暮らしをしている祖父には、できるだけ長生きしてほしいものです。
加害者・警察・保険屋・病院・そのほか関係者。それぞれとの接触は大変勉強になりましたし、人間性悪説を改めて確信しました。ひどい世の中です。
内地へはあまり行く機会が少ないですが、この体験は大変貴重なものとなりました。収穫が沢山あったのは嬉しいことです。
『祭』はもう学生生活の中でももっとも貴重な体験の一つでした。これで対外活動にかなり自信を深めたのは事実ですし、少なくとも入学時から掲げていた目標『大学のそとの社会への参加』には大いに達成されたと思います。何より好きな仕事を沢山出来る喜びを知ったのが一番ですね。
祭り自体には課題が山ほどありますが、それについては後輩に解決してもらいましょう。
超紆余曲折の末Tinaが彼女になったのはとてもいい結果だと今でも思います。1位にした理由は今現在順調にして幸せだという事もありますが、それ以上にそこにいたるまでの経緯や挿話を考えると、我ながらよくもまあピンと生きているもんだと思うからです。
今年はお世話になりました。ぺこり
降嫁て(笑)。現代語かいな…?それとも私は女三の宮?若い男と不義密通して出家?穏やかに生きさせてくれい。Tinaちゃんによろぴこ。
いやいや出家って…現代なら、寂聴さんとかでしょうか。